就業規則作成など、ご相談下さい。

職業 社会保険労務士/自負 社会保険労務士
モチーフって大事だと思う。僕もまた自身のモチーフを確認せずにはいられない。
もしも僕が評価されるとしたら、おそらくはそこだろう。



介護 電話相談2024-08-26

業界の片隅にいられればそれでいい。中央に出て行こうとは思わない。けど、こんな片隅にまで、わざわざ会いに来てくれた人とは、素敵なお付き合いができることを願って。
東京の片隅で Edge of the Tokyo

社会保険労務士

090-8483-9508 (土日祝可・夜22時まで)
042-452-6477

メールはこちらまでお願いします。LinkIconsr@shi-bu.sakura.ne.jp

お問い合わせ(フォームはこちらです)LinkIcon

僕はどうやら歯を食いしばっているらしい

歯医者に行ったところ、歯痛の原因はおそらくは食いしばりとのこと。
僕はどうやら歯を食いしばっているらしい。

介護の話、しませんか。

介護 電話相談


澁谷社会保険労務士事務所 澁谷直道
TEL 090-8483-9508

今年もうぐいすがやって来た。
僕は親に、うぐいすの鳴き声を聞かせてあげたいと思っている。

支えて頂いたみなさまに厚く感謝いたします。

2023.10.21
いよいよ本当の最期 

 いよいよ最期の時を迎える。来年の冬、あるいは夏頃かと思っていた。もしくは、89歳まではなんとか、できれば90歳まではと。少し早まった。
この3か月、4回救急車で搬送され、そのうち2回入院。誤嚥性肺炎とコロナ。コロナは先週退院したばかりだった。
 そして一昨日の夜、発熱。またしても誤嚥性肺炎。繰り返すとは聞いていたが、コロナから回復したとはいえ、肺に対するダメージは大きかったようだ。酸素吸入器を取り入れ、今日はそれまでの5リットルタイプから7リットルタイプに入れ替えた。だが、思ったよりも酸素濃度は上がらない。

 採血の結果、かなり数値が悪く、場合によっては一週間持たないとのこと。入院を決めるのなら、今日が最後のタイミングだという。週明けの判断では、おそらくは受入れが難しいという。訪問診療のクリニックの提携先の病院側の都合もあるのだろう。あるいは、最期の面倒だけ病院でと言われても、それは困るといった病院の事情もあるようだ。

 覚悟はしていた。けど、いざ、その瞬間が来ると、やはり逡巡してしまう。訪問診療のクリニックからは、何度も「どうしますか」と電話がかかってくる。何度も確認した。現在、食事が摂れない状態。入院したからといって、食事の摂取が可能になるわけではない。点滴は打つことになるだろうが、栄養補給にはならない。入院したとしても、そのまま最期を迎える可能性が高いとのこと。

 ならば、やはり在宅での看取りを選択した。病院でひとりで逝くのは寂しいだろう。自分の家で、誰かに見守られながら逝くのがいいだろうと。自宅で最期を迎えるか、病院で最期を迎えるか。それも大事なことだが、最期の瞬間、誰が側にいてくれるか、それもまた大事なことだとの話がある。

 また、僕自身、責任を負おうと思う。負わなければいけないだろうと。さっき、話しかけてきた。介護を始めて3年、色々あったなぁと。返事はないが、言葉は届いている様子だ。本当に色々あった。そして、いよいよ本当の最期だ。


2023.10.22 未明
母、逝去。

なんだか笑ってるねぇ。気のせい?
今、僕は初めてほっとすることができたような気がする。2023.10.23 午前3時。


2023.10.25 2352

入院し、翌朝、空のベッドを目にした際の違和感。ある種の寂しさだったりする。葬儀を終え、やはりいやしない。ただ、骨壺と遺影が置かれている。存在として、確かに何か残っている。この違和感も、また別の寂しさを伴う。

人は死ぬんだなと思った。

葬儀を終えて。

-------------------------------------------------------------------

 冷たくなっていたことに気づいてから、自宅での葬儀まで4日間。この4日間の出来事こそ、最も大事な時間だったのではないかと思う。
 僕は何を思い、何を考えたのか。既に忘れかけているのがもったいない。時間をかけて、思い出そうと思う。僕はこの遺体と一緒に過ごした4日間のためにこそ、介護を担ってきたと言ってもいいような気もする。

 棺が届く前日の夜、棺の中に何を入れるか、箪笥や棚の引き出しの中、あれがあったはずだと、いろいろ探していた。安物ではあるが、僕が買ってあげた冬用の2枚のセーターをまだ介護ベッドの上で寝ていた親に、
「これ、そろそろ寒くなるから、着て逝ってくれ」
 と、羽織ってあげた。その時、僕はこの4日間を通してただ一度だけ涙を流した。

 翌日、遺体を棺へ移す。儀式的なことはしなかったが、納棺。庭先の花を摘み、花瓶に差し棺の周囲に置く。手作り感があって、僕はこの状況が気に入っていた。文化祭の準備をしているような感覚。

 3日目、供花が届き、葬儀屋さんによる設営。にぎやかな棺まわりにこそなったが、逆に手作り感がなくなり、少し残念な気もした。葬儀屋の式場でならばともかく、何基もの供花が置かれた風景は、自宅の狭い室内にはそぐわないのではないかと。
 庭の花で埋められれば良かったのだが、今の時期、残念ながらほとんど目立つような花が咲いていない。それでも、ピラカンサス、ススキ、うどの実、赤くなる前、まだ緑色の万両か千両の実、昔、親に教えてもらったが忘れてしまった赤い小さな花(おそらくオシロイバナ)、野草の白い花をなんとか集めた。

 夜中、僕は何度も声をかけていた。
「ばあちゃん、明日はいい天気らしいぜ。よかったな」
「ばあちゃん、自分か作った句集、忘れずに持っていきや。向こうで、これ、自分が作ったって、話してやりな」
「ばあちゃん、おむつは恥ずかしいから、下着も入れとくしな」
「ばあちゃん、夏服も入れといたぜ」
「ばあちゃん、やっぱり寂しいな。やっぱり寂しいよ」
「ばあちゃん、何か言ってくれよ。何か言ってくれると、嬉しいんだけどな」

 息を引き取る前の晩、僕も寝る直前、僕はこう話しかけていた。
「ばあちゃん、人生、いろいろあったよな」
「そりゃぁ、そうだよな、88年も生きたんだもんな」
「もうちょっとで89だぜ。頑張ろうよ。できたら90までな」
 声は届いていたが、返事はない。もっと話しかけていればよかったと思うが、熱が下がらず、酸素濃度も上がらない状況だったからこそ、話しかけられた内容だったとも思う。

 設営を終えた3日目の夕方と翌日の葬儀当日、近所の人もいっぱい集まってくれた。みんな、幸せだったね、最期まで子供に面倒を見てもらえて羨ましいって言ってくれた。最初、息を引き取ったと伝えに言った時、泣いてくれた人もいた。
 斎場から帰って、夕方、近所の人にも3人ほど声をかけて自宅に来てもらって家で食事をした。
「ばあちゃん、いい会食だったな」
「この4日間、特に自宅での様子、ばあちゃんにも見てもらいたかったよ」

 俺、明日から仕事に戻れるかなぁ。もちろん、戻らないといけないんだけど、戻りたくない自分もいる。もう少し、この4日間の余韻を味わっていたい。現にこうして今も、眠いけど寝たくはない。そのため、だらだらとこの文章を書いている。昔の人が、もっと葬儀に時間をかけていたのは、そんな思いもあったのかもしれないと思う。いい4日間だったということなのだろう。恥ずかしいけど、こうも言っておこう。
「ばあちゃん、ありがとう」


支えて頂いたみなさまに厚く感謝いたします。
澁谷直道


4度目の救急車

 さすがに疲れた。肉体的にというよりも、気持ちの上でぐったり…。
 誤嚥性肺炎で入院、退院してから約1か月が過ぎた昨日。ここ最近は僕の体重も増え、元通りに近い状態。つまりは僕自身、食事をしっかりと摂ることができ、ある程度の余裕もできつつあったということ。
 ところが、昨日、僕が家を出るまではなんともなかったが、夕方、ヘルパーさんが家に来てみると39度2分の発熱。訪問診療のお願いの電話を入れ、仕事を切上げ家へ帰った。
 酸素濃度が90を下回っていて、再び誤嚥性の肺炎を起こしていると思われた、インフルエンザはその場で検査したところ陰性。念のため、コロナの検査と採血をし、一度クリニックに持ち帰ってもらった。
 酸素濃度が90以下の場合、基本的には病院での措置だとのこと。けど、それはすなわち入院。また入院かと思うと気が重く、できれば今晩だけでも様子を見たいと僕の意向を伝えた。痰の吸引を行うと、一時的に酸素濃度が92まで上がり、熱も38度台前半にまで下がっていた。明日の朝には回復に向かうと思いたかった。だが、
「このまま家で療養するとなると、最悪の場合も覚悟の上でということになります」
 と、医師。僕はそれでもいいと思った。それほど、その時の僕は、またもや入院という状況についていけそうになかった。
 結局、採血の結果次第で考えましょうということになった。そして、約1時間後、クリニックから連絡があった。
「コロナでした」
 周囲にコロナ感染者はおらず、当初、コロナの可能性は低いと思われていた。もちろん、僕自身も発熱などの症状はない。原因がコロナならば、おそらくはこのまま家で安静にしていても、翌朝にはもっと悪くなっているだろうとのことで、またしても救急車を呼ぶことになった。2か月半で4度目の救急車。
 僕も今日明日、発症するかもしれないかと思うと、よけいに気が重くなる。夜の9時すぎに病院に搬送され、僕が家へ帰ってこれたのは深夜1時すぎ。寝ようと思った頃には3時を回っていた。
朝、少しばかり寝坊したが、病院に薬などを届けに行った。僕は特に具合が悪いわけではないが、睡眠不足などもあり、身体が少しばかり重いのはコロナのせいではないかと疑心暗鬼になってしまう。
まぁ、僕はともかく、今回ばかりは親が気の毒に思えてくる。親はもちろん、僕も特に不摂生したわけではない。
「何のために生きているかわからない」
 もし、親にそう言われたら、僕は返す言葉が見つからないかもしれない。隔離解除まで最低5日。その間、面会は不可。退院できるのはおそらくは一週間か10日後。入院中、僕の負担は減るとはいえ、遊ぼうとか飲みに行こうといった気にはなれやしない。
 ただ、この1か月、親のペースト食にあわせ、ひき肉ばかりだったが、さすがに今日くらいはひき肉はやめようと思う。

2023.10.6

初めての訪問入浴

 昨日、初めての訪問入浴。手際が良すぎて、僕の方が慌ただしく疲れてしまう。費用は1回あたり約1500円(1割負担)。週一度お願いすると、点数の上限ギリギリになってしまう。他のサービスを減らすか、あるいは、要介護の区分変更を検討中。ただ、要介護が4からら5に上がったとしても、それだけ具合が悪いということゆえ、素直に喜べるわけでもない。悩むなぁ。

2023.9.27

私はひとりの人間ですよ

 今年の夏、三度ばかり救急車で運ばれた。三度目は誤嚥性肺炎で3週間ほど入院。そして、退院してから3週間近くの日々が経過した。

 やることが増えた。痰の吸引(1日数回)。トイレでの排泄は無理なのでおむつ交換(パッドだけの交換を含めこれも1日数回)。食事はペースト食(ブレンダーでペースト状にする。肉はひき肉を使用するため、最近僕もひき肉しか食べていない)。シャワー浴も無理なので清拭、洗髪はドライシャンプー。

 看護師さんにも、
「めんどくさ度があがってごめんね」
 そう謝っておいた。実際、特におむつの交換はめんどくさ度が一気にあがった。ペースト食ゆえ軟便。なかなかきれいに拭き切れない。今まで、僕はめんどうなのでゴム手袋を使わずにやってきたが、さすがに今日はゴム手袋をはめた。要する時間も今まで以上にかかる。
 朝、起きてから仕事に行くまでの4~5時間、帰宅後も3時間ほど休むことなく介護に時間を費やす毎日。

 一方で、僕は声を荒らげることはなくなった(完全になくなったとは言い難いが)。例えば、3歳児と0歳児の子供を相手にする際、3歳児なら「いい加減にしろよ」と思うことでも0歳児なら「仕方がない」と思えるのと同じようなものかもしれない。以前よりも弱った親に対し、こちらもある程度の粗相は寛大になる。

 ただ、年を取ると赤ん坊に戻るといっても、0歳児同様に戻るわけではない。今日の親との会話。
「昨日はできたじゃない。なんで今日は無理なの」
 と、僕。これに対し、
「昨日は昨日ですから」
 と、親。あるいは、食欲がないのか、多少無理にでも食べてもらおうと思って、
「ア~ンして。口をもっと大きく開けて」
 そう言うと、本人は開けているつもりなのか、そうでなくても何度も「ア~ン」してなどと赤ん坊扱いされることにプライドもあるのか、
「私はひとりの人間ですよ」
 と、威厳を示す。こんな0歳児、いやしない。ただ、「私はひとりの人間ですよ」、この言葉はけっして軽くはない。

2023.9.24

週に一度のデイサービス

 デイサービスの利用は、介護をしている人の気晴らしにもなり、自分の時間が持てるといった話は確かにその通りだが、僕の場合、必ずしもあてはまっていない。親が留守にしている間にこそできることもある。
 先週の水曜日、この日は週に一度のデイサービス。朝7時半に起床。親のトイレ、歯磨き、朝食、着替え、服薬などの介助、さらにフォルティオの注射、これらをこなすのにざっと1時間はみておかなければならない。
 そして、9時にお迎え。前日の夜、親がトイレを汚してしまったことから、親が出かけた後、さっそくトイレやトイレマットの掃除、さらにシーツ、タオルケット、毛布などの洗濯を始めた。洗濯機は3度回した。
 その後、整形外科へ行ってフォルティオの受取り。これらを済ますと、1130分を回っていた。事務所へ向かい、13時前から仕事。もちろん、ゆっくりできるわけではない。デイサービスがある日は、親が帰って来る17時までには家へ戻らなければならない。帰りの夕食の買い物の時間を入れると、事務所にいられるのはせいぜい1530分まで。
 親が帰ってからも、慌ただしい。うがい、トイレ、そして着替え。親にはしばらく仮眠してもらい、今度は夕食の準備に取りかかる。
 ここまでで、僕が食べたのは朝食のトースト1枚とリンゴ4分の1個だけ。水曜日の昼はいつも食べる暇を惜しんで抜いている。
 当然、寝不足に空腹。結果、水曜日になると僕はよく体調を悪くする。ついでに親は、翌日の木曜日はデイサービスの疲れがあるのか、機嫌が悪かったりする。
 だったら止めればいいかというと、それでも親にとっては週に一度のデイサービスは数少ない外出の機会でもあり、やはり行った方がいいと思っている。

 さて、ある知り合いの女性、同居しているお母さんの介護を担っている。そのお母さんと電話で少し話をした。
「娘には気の毒だと思っているんですけど、甘えさせてもらっています」
 とのこと。僕は、
「うん、それでいいと思いますよ」
 そう答えた。娘からしたら、
「まわりは無責任に勝手なことばかり言う」
 と、思うかもしれない。申し訳ない。僕も、
「子供は親の面倒をみる義務がある」
 そう言われたときは、勝手なこと言うなよと思った。
 そこで、娘、つまり知人の女性のフォローをさせてもらおうと、勝手に思っている。余計なお世話であれば、その時は謝ればいい。

2023.2.27

それをやりたいか

 先日の夜の報道番組、ウクライナ隣国のポーランドで、避難してきた人の支援疲れの話をしていた。今なお、支援活動を続けている人が、
「人々の熱意は終わった。もはや戦争について人は話さなくなった。それでも、できることをやる」
「それをやりたいか。支援に必要なのは心。支援をせずにはいられない。そういうものなのです」
 そんなふうに話していた。介護と似ているなと思った。退院直後、親戚から毎週のようにどんな具合か、電話がかかってきていたが、今では2,3か月に一度。介護前と同じ間隔だ。
 また、それをやりたいか。その通りとも言える。ただ、介護の場合、親子関係において、義務もあると思う(ただし、義務については、誰に、どのように言われるかによって、「勝手なこと言うなよ」と思うこともある)。
 僕にできないことは、人にお願いする。逆に、僕にできることは、極力自分でする。僕は、ひとりで外食するのは好きではない。ほとんどしない。自分で作って食べる。その方が、費用においても、量においても、納得できる。その性分が、介護にも表われているのかもしれない。

 今日、臨時で摘便をお願いした。朝から出かかってはいたが、どうにも自力で出すことができそうになかった。看護師さんが肛門の中で便を崩しながら取り出していく。終わって、
「臭いがけっこうきついですね」
 もちろん、臭いを嫌がっての話ではない。
「臭いで体調とかわかるんです。お肉、けっこう食べられてます?」
 その日の臭いがいつもよりきついのは、僕も感じていた。普段、消臭剤はあまり使わないが、さすがにその日は窓を開けての換気に加え、消臭スプレーも使った。
「魚は嫌がるんで、ほとんど毎日、肉なんです」
 舞鶴の漁港近くで育っている。東京の魚はまずいのだろう。川魚は「臭い」といって、特に好きではない。あるいは、子供の頃、魚ばかり食べさせられてきた反動もあるのかもしれない。
「もうこの年だし、好きな物食べさせてあげようと思って」
 以前は修に一度は魚を焼いていたが、今ではたまにだ。スーパーの魚が美味しくないこともある。ただ、近くの知り合いが、たまに魚の粕漬の類を持ってきてくれるのだが、これは美味い。それもそのはず、わざわざ百貨店まで行って、買ってきてくれる。値段もけっこうする。

 その日、「負けないぞ。負けないぞ」と言って、トイレからベッドへ歩行器を押しながら歩いていた。あはっ、僕と同じこと、言ってらぁ。

2023.2.10

僕が僕を縛っている

「シンクロと自由」、新聞の書評で見つけた書籍。まだ読んではいないが、興味深い。近頃の僕の介護、なだめることに苦心している。なかなか、なだめきれるわけでもなく、時にイラつく。
 介護は、シンクロで成り立つものとすれば、僕の行為はなだめると言っても強制であり、そう思うと、自ずとなだめると言うよりも、シンクロを意識するようになった。だが、やはり限界がある。なぜか。「自由」と関連する。
 子供の顔を忘れる、つまりは親であることから解放される。あるいは、時間がわからなくなる、つまりは時間から解放される。その先にあるのは自由、ということのようだ。人はこうあるべきだとの「規範」からも解放される。
 子育てが「規範」を教えることだとすれば、その逆だ。一方で、僕自身は自身に課した「規範」から逃れられないでいる。「なだめる」行為は、僕自身の「規範」を押し付けているのであり、そこでは「シンクロ」は成り立たない。
 なぜ、イラつくか。自分のルーティーンが崩れるからだ。僕が僕を縛っている。僕自身も解放されて初めて、シンクロするのだろう。解放された方が楽になる、そのはずなのに、なぜ、拒むのだろう。規範からの脱却、それが子育てを受けた、悪く言えば報復であり、あるいは、お礼なのかもしれない。親と子の関係の終着において。

2022.9.19

介護 電話相談

「施設も悪い所じゃない。みんな、幸せに暮らしている」
 僕のいないところで、姉は親にそう話し、弟をそそのかせて施設見学を勧めた。後日、親が僕に言った。
「どうしても私を施設に入れたいのかしら」
 
(書かなくてもいいようなことまで書いてしまっているのは、書かずにいられないから。それだけ僕は、介護に対し、ど正面から向き合っている)

 車椅子を使って親の通院に連れ添う。多くの所で、多少の段差があったりする。すぐに手を止め、手伝いに、あるいは声をかけに入口までやって来てくれる受付事務の人もいれば、気づいても、特に忙しくなくてもそのままの人もいる。僕は前者でありたい。なぜ、僕は自宅での介護を選択しているのか。その理由のひとつに繋がってるのだと思う。

僕は元気でなければいけない。

介護

介護休業取得応援奨励金

介護休業取得応援奨励金(令和4年度)

[(公財)東京しごと財団]

■奨励対象事業者

1 都内に本社または事業所を置き、6か月以上継続して雇用保険に加入している労働者が2名以上300名以下の中小企業等。

2 合計15日以上の介護休業を取得した後、原職に復帰し、3か月以上継続雇用されている、都内事務所勤務の従業員がいること。

3 育児・介護休業法に定める取り組みを上回る、以下のいずれかを含む制度を令和4年4月1日以降に就業規則に定めること。
⑴ 介護休業期間の延長
⑵ 介護休業の取得回数の上乗せ
⑶ 介護休暇の取得日数の上乗せ
⑷ 時間単位の介護休暇導入(中抜けを認めるもの)

■申請受付期間
令和4年4月1日(金)~原職等復帰3か月経過後2か月以内または令和5年3月31日(金)のいずれか早い日
(予算の範囲を超えた場合は、申請受付期間内でも受付終了)