介護の話、しませんか。
介護 電話相談
澁谷社会保険労務士事務所 澁谷直道
TEL 090-8483-9508
今年もうぐいすがやって来た。
僕は親に、うぐいすの鳴き声を聞かせてあげたいと思っている。
週に一度のデイサービス
デイサービスの利用は、介護をしている人の気晴らしにもなり、自分の時間が持てるといった話は確かにその通りだが、僕の場合、必ずしもあてはまっていない。親が留守にしている間にこそできることもある。
先週の水曜日、この日は週に一度のデイサービス。朝7時半に起床。親のトイレ、歯磨き、朝食、着替え、服薬などの介助、さらにフォルティオの注射、これらをこなすのにざっと1時間はみておかなければならない。
そして、9時にお迎え。前日の夜、親がトイレを汚してしまったことから、親が出かけた後、さっそくトイレやトイレマットの掃除、さらにシーツ、タオルケット、毛布などの洗濯を始めた。洗濯機は3度回した。
その後、整形外科へ行ってフォルティオの受取り。これらを済ますと、11時30分を回っていた。事務所へ向かい、13時前から仕事。もちろん、ゆっくりできるわけではない。デイサービスがある日は、親が帰って来る17時までには家へ戻らなければならない。帰りの夕食の買い物の時間を入れると、事務所にいられるのはせいぜい15時30分まで。
親が帰ってからも、慌ただしい。うがい、トイレ、そして着替え。親にはしばらく仮眠してもらい、今度は夕食の準備に取りかかる。
ここまでで、僕が食べたのは朝食のトースト1枚とリンゴ4分の1個だけ。水曜日の昼はいつも食べる暇を惜しんで抜いている。
当然、寝不足に空腹。結果、水曜日になると僕はよく体調を悪くする。ついでに親は、翌日の木曜日はデイサービスの疲れがあるのか、機嫌が悪かったりする。
だったら止めればいいかというと、それでも親にとっては週に一度のデイサービスは数少ない外出の機会でもあり、やはり行った方がいいと思っている。
さて、ある知り合いの女性、同居しているお母さんの介護を担っている。そのお母さんと電話で少し話をした。
「娘には気の毒だと思っているんですけど、甘えさせてもらっています」
とのこと。僕は、
「うん、それでいいと思いますよ」
そう答えた。娘からしたら、
「まわりは無責任に勝手なことばかり言う」
と、思うかもしれない。申し訳ない。僕も、
「子供は親の面倒をみる義務がある」
そう言われたときは、勝手なこと言うなよと思った。
そこで、娘、つまり知人の女性のフォローをさせてもらおうと、勝手に思っている。余計なお世話であれば、その時は謝ればいい。
(2023.2.27)
それをやりたいか
先日の夜の報道番組、ウクライナ隣国のポーランドで、避難してきた人の支援疲れの話をしていた。今なお、支援活動を続けている人が、
「人々の熱意は終わった。もはや戦争について人は話さなくなった。それでも、できることをやる」
「それをやりたいか。支援に必要なのは心。支援をせずにはいられない。そういうものなのです」
そんなふうに話していた。介護と似ているなと思った。退院直後、親戚から毎週のようにどんな具合か、電話がかかってきていたが、今では2,3か月に一度。介護前と同じ間隔だ。
また、それをやりたいか。その通りとも言える。ただ、介護の場合、親子関係において、義務もあると思う(ただし、義務については、誰に、どのように言われるかによって、「勝手なこと言うなよ」と思うこともある)。
僕にできないことは、人にお願いする。逆に、僕にできることは、極力自分でする。僕は、ひとりで外食するのは好きではない。ほとんどしない。自分で作って食べる。その方が、費用においても、量においても、納得できる。その性分が、介護にも表われているのかもしれない。
今日、臨時で摘便をお願いした。朝から出かかってはいたが、どうにも自力で出すことができそうになかった。看護師さんが肛門の中で便を崩しながら取り出していく。終わって、
「臭いがけっこうきついですね」
もちろん、臭いを嫌がっての話ではない。
「臭いで体調とかわかるんです。お肉、けっこう食べられてます?」
その日の臭いがいつもよりきついのは、僕も感じていた。普段、消臭剤はあまり使わないが、さすがにその日は窓を開けての換気に加え、消臭スプレーも使った。
「魚は嫌がるんで、ほとんど毎日、肉なんです」
舞鶴の漁港近くで育っている。東京の魚はまずいのだろう。川魚は「臭い」といって、特に好きではない。あるいは、子供の頃、魚ばかり食べさせられてきた反動もあるのかもしれない。
「もうこの年だし、好きな物食べさせてあげようと思って」
以前は修に一度は魚を焼いていたが、今ではたまにだ。スーパーの魚が美味しくないこともある。ただ、近くの知り合いが、たまに魚の粕漬の類を持ってきてくれるのだが、これは美味い。それもそのはず、わざわざ百貨店まで行って、買ってきてくれる。値段もけっこうする。
その日、「負けないぞ。負けないぞ」と言って、トイレからベッドへ歩行器を押しながら歩いていた。あはっ、僕と同じこと、言ってらぁ。
(2023.2.10)
僕が僕を縛っている
「シンクロと自由」、新聞の書評で見つけた書籍。まだ読んではいないが、興味深い。近頃の僕の介護、なだめることに苦心している。なかなか、なだめきれるわけでもなく、時にイラつく。
介護は、シンクロで成り立つものとすれば、僕の行為はなだめると言っても強制であり、そう思うと、自ずとなだめると言うよりも、シンクロを意識するようになった。だが、やはり限界がある。なぜか。「自由」と関連する。
子供の顔を忘れる、つまりは親であることから解放される。あるいは、時間がわからなくなる、つまりは時間から解放される。その先にあるのは自由、ということのようだ。人はこうあるべきだとの「規範」からも解放される。
子育てが「規範」を教えることだとすれば、その逆だ。一方で、僕自身は自身に課した「規範」から逃れられないでいる。「なだめる」行為は、僕自身の「規範」を押し付けているのであり、そこでは「シンクロ」は成り立たない。
なぜ、イラつくか。自分のルーティーンが崩れるからだ。僕が僕を縛っている。僕自身も解放されて初めて、シンクロするのだろう。解放された方が楽になる、そのはずなのに、なぜ、拒むのだろう。規範からの脱却、それが子育てを受けた、悪く言えば報復であり、あるいは、お礼なのかもしれない。親と子の関係の終着において。
(2022.9.19)
「施設も悪い所じゃない。みんな、幸せに暮らしている」
僕のいないところで、姉は親にそう話し、弟をそそのかせて施設見学を勧めた。後日、親が僕に言った。
「どうしても私を施設に入れたいのかしら」
(書かなくてもいいようなことまで書いてしまっているのは、書かずにいられないから。それだけ僕は、介護に対し、ど正面から向き合っている)
車椅子を使って親の通院に連れ添う。多くの所で、多少の段差があったりする。すぐに手を止め、手伝いに、あるいは声をかけに入口までやって来てくれる受付事務の人もいれば、気づいても、特に忙しくなくてもそのままの人もいる。僕は前者でありたい。なぜ、僕は自宅での介護を選択しているのか。その理由のひとつに繋がってるのだと思う。
僕は元気でなければいけない。
介護
介護休業取得応援奨励金
介護休業取得応援奨励金(令和4年度)
[(公財)東京しごと財団]
■奨励対象事業者
1 都内に本社または事業所を置き、6か月以上継続して雇用保険に加入している労働者が2名以上300名以下の中小企業等。
2 合計15日以上の介護休業を取得した後、原職に復帰し、3か月以上継続雇用されている、都内事務所勤務の従業員がいること。
3 育児・介護休業法に定める取り組みを上回る、以下のいずれかを含む制度を令和4年4月1日以降に就業規則に定めること。
⑴ 介護休業期間の延長
⑵ 介護休業の取得回数の上乗せ
⑶ 介護休暇の取得日数の上乗せ
⑷ 時間単位の介護休暇導入(中抜けを認めるもの)
■申請受付期間
令和4年4月1日(金)~原職等復帰3か月経過後2か月以内または令和5年3月31日(金)のいずれか早い日
(予算の範囲を超えた場合は、申請受付期間内でも受付終了)